東京散歩

 


浅草蔵前旧古河庭園東京スカイツリー

 

 

東京スカイツリー

 

当社より東京スカイツリーの建設様子が見えますので、少しご紹介します。

着工2008年7月、竣工予定2011年12月、高さ610m、になる電波塔は、鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造の構造体で成り立つようです。

現在、クライミング式タワークレーンで鉄骨が積み上げられています。1週間で1層伸びています。

土曜日も休むことなくタワークレーンは動いています。

 

2010/03/16  311m超             2010/06/10                         2010/06/24                         2010/06/24 第一展望台                 

 

2010/01/24                         2009/11/15                         2009/10/1                          2009/9/7

 

 

 

旧古河庭園

 

この季節、旧古河庭園では「春のバラフェスティバル」が行われています。

庭園内ではお弁当を食べることもできます。ちょっとしたピクニックです!

入場料は大人150円!手ごろな価格なので気軽に訪れることが出来ます。

    

 

では、この庭園の紹介をします。

 

<東京都立 旧古河庭園 の資料より抜粋>

 

面積:30,780m2

説明:

大正6年(1917年)古河虎之助が経営した東京における大正初期の代表的庭園です。

 

園は武蔵野台地の裾に入り込んだ低地を取り込み、土地の高低差を利用した和・洋両型式を巧みに使い分けた庭園です。

洋風庭園は邸主の住居であるルネッサンス風の本館とそれを取りまく方式庭や、花壇、芝生等からなり、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの設計です。

 

又、園の大半を占める日本風庭園は、京都に庭師・植冶の作庭にかかり、山間の湖沼を思わせる泉水を中心として枯滝あり、自然風岩組あり、深山風細流を配するなど、自然趣味豊かな庭園となっています。

 

明治時代から大正初期にかけて作られた、東京における代表的庭園と言えましょう。

 

 

 

 

蔵前

 

ハルシステム設計は、都営大江戸線の蔵前駅から、江戸通りを浅草方面に向かって歩けば5分の距離にあります。

 

この蔵前駅から、反対に浅草橋方面に歩き出すと、道の両側に、おもちゃの卸問屋が軒を連ねています。江戸時代、浅草寺の参道は浅草橋まで続いていて、その土産物屋の名残が、この蔵前問屋街なのだとか。

 

「山縣商店」は、老舗の花火問屋です。純国産の線香花火を復活させたことでニュースになりました。

「大江戸牡丹」と命名された線香花火は、90秒という命の長さと、火花の優美さが評判で、結婚式の引き出物にと申し込む人もいるそうです。

 

また、懐かしいブリキ玩具の専門店でもあるので、思わずショウウインドウに見入ってしまいます。

「木村由一商店」は和凧専門店、「おまつりらんど」は縁日の露店玩具問屋…他ではなかなか見られない、趣味心をそそられる店、童心に返る店が、たくさんあります。業者向けだけでなく、バラ売りをする店も多いですから、一度ゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか。

 

蔵前橋から隅田川沿いの遊歩道に出るのも、お勧めです。

かつて、このあたりは江戸幕府の米蔵が並び、その蔵の前の街道を「御蔵前(おくらまえ)」と呼んだことが、「蔵前」という地名の由来です。米を扱う商人は札差業を営むことが多かったため、ここは金融の中心地でした。

 

古書店「浅草御蔵前書房」は、蔵前に国技館があったころから、相撲関連の古書や錦絵を扱っている、マニアには有名な店です。蔵前国技館は、昭和59年までの35年間、数々の名勝負を生んだ「相撲の聖地」でした。

 

そして、江戸通りから一本入ったところには、江戸の勧進大相撲発祥の地、蔵前神社があります。本社神輿の台輪に刻まれた彫刻は、昭和の名工、志布景彩の作品として有名です。

 

江戸通りを、さらに進めば浅草橋。次回は、このあたりのことを、お話したいと思っています。

 

 

 

浅草

 

浅草寺の由来

 

ハルシステム設計が東京台東区の浅草に事務所を移して17年になります。どうして浅草に移転したのかというご質問をよくいただきますので、ここにお答えします。「苦しいときの神頼み」のためです。

さて、それでは、その頼みの綱、浅草寺(せんそうじ)のことを少し勉強していただきます。

 

  浅草寺の正式名称は、金龍山(きんりゅうざん)伝法院と称します。浅草(あさくさ)観音の名で有名なご本尊は、聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)で、高さ18分(約5.5センチ)の黄金の像と言われていますが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明です。本尊のレプリカと思われる御前立本尊に限り、年に一度(12月13日午後2時)だけ公開されます。ご興味がおありでしたら、ぜひ、浅草においでください。

 

  言い伝えによると、西暦628年、檜前浜成(ひのくまはまなり)と竹成(たけなり)の兄弟が、宮戸川(今の隅田川)で漁をしている時、黄金の聖観音像がかかり、その観音に祈ると多くの魚が取れたそうです。そこで、土師直中知(はじのあたいなかとも)が自宅を寺として安置したのが本寺の始まりと言われています。正式には、645年、諸国巡遊の勝海上人という僧が堂宇を建立し、開山となりました。この勝海上人の夢告により本尊は秘仏とされ、その後、開帳は厳禁されています。 昔々の言い伝えなので、本当は何も無いのかも・・・(おっと、バチがあたりますので、これは内緒話です・・)

 

  1590年、徳川家康は浅草寺を祈願所とし500石を与えますが、徳川家の庇護の下、浅草は江戸一番の繁華街として栄えます。浅草寺の裏手には有名な遊郭「吉原」が広がっていました。当時のビジネス街の中心は日本橋でしたが、その北に大商店の蔵が立ち並ぶ「蔵前」があり、その北に浅草は位置していました。大店(おおだな)の若旦那(だいたいが遊び人)たちは、日本橋のお店の仕事に飽きると、「ちょっと蔵を見に行って、それから観音様にお参りしてきますわ」と言い残して、蔵前から浅草へ、そして吉原へと通っていたようです。うまい配置になっていたものです。

 

  余談ですが、昨年の大河ドラマで人気者となった篤姫は、浅草に近い上野の寛永寺に眠っています。

また、浅草寺の横にある浅草(あさくさ)神社は三社権現(さんじゃごんげん)と言われ、創建にかかわる、3人を祀(まつ)る神社ですが、浅草は、このように神仏一体のご利益倍増が期待できる場所です。

 

  5月の第3日曜までの3日間に行われる三社祭は江戸三大祭の一つで名高いですが、この三社権現のお祭りです。また、7910日にお参りすると、四万(しまん)六千日参詣したと同様の功徳があると言われ、当日はほ おずき市が立ちます。

 

  ぜひ、浅草においでいただき、ついでに弊社にもお寄りください。

 

 

 浅草の風景 

   

 

 

 


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